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タロット占い師 mimiel

タロット占い師mimiel(ミミエル)のblogです

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ご無沙汰しております
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    ご無沙汰しております。
    前回投稿からだいぶ経ってしまいました。またぼちぼち再開したいと思います。

    長らく更新できなかったのは、プライベートで一山二山越えなくてはならないことがあったため。


    まず第一に自身の結婚とそれにまつわる色々なこと、第二に起きたことは実家の家族の死でした。
    12月に結婚し、1月に育ててくれた祖父が亡くなりました。



    ここ1年ほど“覚悟するべきときがきたかな”とは感じさせられていたのですが、正直こんなすぐだとは思いませんでした。
    83才だったので、一般的に考えればいつお迎えがきてもおかしくない年齢だったとは思うけど、やはり家族となると“いつまでも生きている”のが当たり前だと思ってしまうんですね。



    余命を告げられた時は年末で、すでにあとひと月だろうということでした。



    ガンであることは本人も知っていましたが、手術を乗り越え自宅で療養中で、今回本人は少しお腹の具合を悪くした程度と思っていたようで、“早く帰って年始の支度をしなければ”と言っていました。


    手術でとりきれなかったガンで胆管がつまり、胆汁が出なくなり、黄疸症状。
    その後は肝性脳炎を少し発症して、うわごとを言う毎日。
    だけど時折しっかりしては、呼びかけにも答えてくれました。



    その時家族で悩んだのは、自宅に帰してあげるべきなのか、残りの命について告知すべきなのかどうか。


    自分の命を当たり前のように自分のものだと思って生きていたせいか、死に際になって突然色んなことが家族にゆだねられ、家族が決定をしなければいけないことが多いということに、多少の違和感を感じずにはいられませんでした。



    できれば自宅で看取りたかった。けれど、やはり不安がありました。
    もっと前に考えておくべきことだったのかもしれません。
    緩和ケアの大事さにも気づかされました。



    結局我が家は、病院に長女である私の母が泊まり込むという形で、病院での最期を選びました。
    そして、残りの時間については何も告げないことにしました。



    残りの命を週単位で考えてと言われてから、私も仕事をセーブして、いつ呼び出しがかかってもいいように備えました。


    忘れもしない日、夜がまだ明けきらないうちの電話で起きました。心音が弱くなっているとのことでした。
    母は動揺のあまり、泣くでもなく、ただ事態が飲み込めないという声で、すぐ来られるか尋ねました。

    急いで服を着て、家を飛び出すと、久しぶりにしっかりした雨が降っていました。慌てて戻り傘を持ち、大通りからタクシーを拾って病院へ。新居から実家近くの病院までは飛ばせば20分すこし。


    暗い車内でも、とりあえず身なりと気持ちを整えようと、掴んで入れてきた化粧道具で少しメイクをしました。
    でも、あっという間でした。途上の車内で、呼吸が止まったと電話を受けました。


    その後はただ呆然として、どの道で走ってもらったかも覚えていません。


    いつもは名前を書く病院の宿直室でも、呼び止められず、素通りして病室へ。


    すでに家族やいとこが集まっていて、何も言わずに祖父を囲んでいました。
    モニターに並ぶゼロの文字。力が抜けて荷物を落としたこと。
    元気だったころの祖父とはほど遠い姿にしてしまったのは、私たち家族なんじゃないかと思いました。もっと早くガンに気づいてあげれば良かったのに。



    主人や主人の実家に電話で伝え、それから悲しい忙しい一日がはじまりました。
    葬儀の手配、写真や追悼文の用意。知人などへの電話連絡。


    今でもあの長い一日はありありと思い出せますが、なんとその日、インフルエンザになってしまったのでした。
    小学生以来。風邪などで仕事を休んだこともないのに、祖父が死んだ日に40度近く熱を出し、
    結局次の日の通夜には出られなかったのです。。。


    告別式は、別室で控え、最期のお別れだけさせてもらうことにしました。
    葬儀には、400人すこしが来てくれたとのことでした。

    私の祖父としての人生じゃなかったこと。
    もちろんなのですが、ああ、そうかと思わさせられました。

    泣いてくださっている方はどなたなんだろうと高熱でぼんやりとしながら思いつつ、
    祖父は今どこにいるんだろう、どこへ行ったんだろう、本当に魂は消えたのかな?
    その他にもいろんなこと…心の支えがなくなってしまった生活、当たり前だと思っていたことがいかにもろいものなのか、してあげればよかったと思うことを数え上げては後悔…


    どうやってはじまり、どうやって終わったのかわからない日が3日続き、その間に祖父はからからの骨になり、四十九日法要で我が家のお墓に入ったのでした。




    心と体はつながっているとはよく言ったものです。

    初七日が終わってすぐ、私は仕事復帰しました。
    でも死後ひとつきは、やはり体調がすぐれず、風邪を引いたりお腹を壊したりということがありました。



    死の受容には段階があるそうですね。

    半年近く経とうとしている今、涙を流す日は終わりましたが、生きているのではという錯覚に陥ることがあります。
    まだこれからその受容の道が長く続くんでしょう。


    長く書き過ぎました。
    次から、私の慰めになってくれたものたちについてでも、書きたいと思います。


    長文にお付き合いしてくださった人がいたとしたら、すみません。
    また懲りずに遊びにきてくださいませ、おやすみなさい。


    mimiel
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